RPGと言うものについて考えてみる 中編
Posted by 和歌 in 雑記 on 2010年3月7日日曜日
さて第二回目、中編になります。
途中からに成るので前日のも合わせて呼んで下さいね!
と言う訳で、こっから偉そうな口調に変更。
開始。
んでは、今回は前回を踏まえつつ、テーブルゲーム版、TVゲーム版、そしてそれ以前を一緒くたに時系列で並べてみる事とする。
かなりカオスな事になっているので、注意。
かなりカオスな事になっているので、注意。
原点誕生~TRPG誕生~TRPG栄光の時代
- 将棋、チェスといった「性能の違う駒を動かし、相手に勝つ」ゲームが作られる。
- それを元に、ウォーシミュレーションゲームが制作される。
- ウォーシミュレーションを元に、様々な形態へ変化していく。(詳しくはwikipediaのウォーシミュレーションが詳しい)
- 1974年、その中の一形態として世界最初のTRPGである『Dungeons and Dragons(D&D)』のルールブックが制作される。
- D&Dを元に、様々な独自ルールを組み込んだルールブックが制作され、TRPGが世界中に広く発展していく。
クトゥルフの呼び声、ルーンクエスト等の今現在でも人気のある作品も多く出版された。暫くはTRPGのターンとなる。
- 1980年に『Ultima』、1981年に『Wizardry』がApple II用ソフトウェアのRPGとして発売され、世界中での大ヒットを記録する。
- 1980年代中盤、パソコンにて『ドラゴンスレイヤー』等のRPGが発売される。が、当時のPCが一般的ではなかった為、極一部のユーザーにしか浸透しなかった。
- 1986年、日本の雑誌コンプティークにてD&Dリプレイ連載『ロードス島戦記』が有名になる。(正確にはD&Dのルールを利用して行われた独自世界観のリプレイ)
- 同年、日本にて旧エニックスがファミリーコンピュータ用ソフトとしてRPG『ドラゴンクエスト』発売。国内で大ヒットを記録する。
- 1987年、日本にて旧スクウェアがファミリーコンピュータ用ソフトとしてRPG『ファイナルファンタジー』発売。まぁそれなりに売れた。
なお、この年にPC88用ソフト『イース』も発売されている。こっちもPCのソフトとしては売れた。 - 1988年、ファミリーコンピュータ用RPG『ドラゴンクエストIII』発売。380万本を売り上げ、社会現象になるほどの大ヒットを記録する。(ちなみに、SFC版GB版の売り上げも含めるとドラゴンクエストシリーズでは最も売れたタイトルとなる)
- 同年、ロードス島戦記の小説版シリーズが発行されベストセラーとなる。
- 1989年、ロードス島の世界観を元にTRPG『ソード・ワールドRPG』のルールブックが制作、発行される。
- 同年、ロードス島戦記のルールがD&Dからソード・ワールドRPGの物に切り替わる。(所謂一般的なTRPGとしてのロードス島戦記はこの辺りから)
- 1990~1995年辺りまで。TRPG絶頂の時。TRPGリプレイの映画化とか色々と盛り上がる。この時期に、MMO版TRPGとも言えるPBWの原型であるPBM(Play by mail)が世に出てくる。
- 1993年、後に日本のTRPG界にとって重要な位置を占める事となる『有限会社ファーイースト・アミューズメント・リサーチ(F.I.A.R)』設立。
- 1995年辺りから、RPGを初めとするコンピューターゲームの完全な市場の台頭を皮切りに、TPRGの衰退が始まる。ここから暫くTRPGの話題が一切無くなる。また、RPGは各社が様々なジャンルからシステムの輸入、改良を行い、一々書いていたら日が暮れる程に凄まじい勢いで進化していく事となる。
- 1996年、GB用RPG『ポケットモンスター(赤・緑)』発売。コマンド式RPGに収集要素とスポーツ(対戦)要素を取り入れたシステムが口コミで評価され、日本、後に世界中で大ヒットを記録する。
閑話休題その1:
同年、PC98用ソフトとして東方Project第一作目である『東方靈異伝』が頒布される。けど当時は超絶マイナーゲーだった。(筆者も全く知らなかった)
これを発表当時からやっていたと豪語する猛者が稀に現れるが、奈須きのこの『魔法使いの夜』を読んだヤツばりに信用ならない程数が出てないので注意が必要である。(魔法使いの夜は発行部数5冊。あまりに売れなかった同人小説としてある意味有名。まぁ靈異伝は発表当時50本以上売れているらしいが。その後(紅魔郷発表後)、靈異伝は通販によりそれなりに売れた)
- 1997年、『ファイナルファンタジーVII』が発売される。
今後のRPGの在り方やハードであるプレイステーションのみならず、コンピューターゲームの立場を引率する一撃となる売り上げを叩き出す。 - 同年、PC用RPG『Ultima Online』発売&サービス開始。世界中でヒットとなり、MMORPGのシステムとビジネスモデルの基本形が形成される。
- 2000年、D&Dの権利を買収したウィザード&コースト社(MTGで有名な所)が『D&D第三版(Dungeons & Dragons 3rd edition)』を発行。
また、同社がD&D第三版のルールであるd20システムを「個人、企業を問わず他者が利用しても良い」というコピーレフトに近いTRPG起死回生の太っ腹な一発をぶちかまし、向こうのお国で盛り上がる。
但し日本語に翻訳されていないので日本では微妙だった。(この言語の壁が後に日本のTRPG市場の方向性を決める事になった気がする) - 同年、PC用RPG『ディアブロII』発売開始。MORPGとして世界中で異例のヒットを飛ばす。
更に、PC用RPG『BALDUR'S GATE II:Shadows of Amn』が発売される。こちらは高い完成度とAD&D第二版のルールを忠実に再現したゲームとして評価され大ヒットとなる。
ディアブロIIはカプコンより同年に、バルダーズゲートIIはセガより2001年に日本語化され発売されている。 - 同年、PS2が発売開始される。元よりプレイステーションの成功があった事と、そして発売当初より極めてサードパーティのソフト等に恵まれた結果、主流ハードとしての地位を確固たる物とする。
- 2002年、旧スクウェアよりコンシューマーとしては初のPS2用MMORPG『ファイナルファンタジー11』発売及びサービス開始。運営初日にサーバーが落ちる程大盛況となった。
勿論、当時のユーザー達は旧スクウェアの迂闊っぷりにイライラした - 同年、PC用RPG『ラグナロクオンライン』サービス開始。日本で社会現象的なヒットを飛ばす。
が、運営会社であるガンホーによる管理の駄目っぷりによって、今現在に続く駄目なネットゲーム運営の典型的なテンプレを造り出してしまう。 - 同年、前述のF.I.A.RよりTRPG『ナイトウィザード』ルールブック第一版が発行される。マルチメディアでの展開を行い、寂しかった日本のTRPG業界に新規参入の糸口を作った。
また、この前後の時期にも同様の一般受けしやすいTRPG『ダブルクロス』『アリアンロッドRPG』等を発行。これらF.I.A.Rの頑張りによって日本のTRPG業界はある程度回復する。 - この時期を前後に、日本のTRPG業界ではインターネットの普及により株式会社テラネッツが引率する形でPBWが有名になってくる。元々のTRPGユーザーのみならず、インターネットの普及による口コミなどから新規のユーザーを獲得する事に成功する。
但し、絶対数はお察し
閑話休題その2:
2002年末、東方紅魔郷が2chの『フリーのシューティング専門スレ』にてフリーでないのに何故か話題になる。
それに続く形で2003年初頭、東方妖々夢体験版が『パソコンで出来るシューティング総合(現:PCで出来る2Dシューティング総合スレ)』にて話題になり、所謂2chユーザーのシューター間で急速に知名度が上がっていく事となる。(筆者もこの辺りで始めて知った)
とは言っても、あくまで当時の限られたシューターの中での知名度なので現在に比べたらたかが知れている程度ではあるが。(当時の有名なPCシューティングと言えば神威、らじおぞんでが筆頭だった)
PBWの発展~MMORPGの栄光~TRPGの発展~そして現代へ
- 2003年、テラネッツのスタッフ達が独立しトミーウォーカーを設立、PBW『無限のファンタジア(現在はサービス終了)』サービスイン。
- 同年、新紀元社よりTRPG雑誌『Role&Roll』創刊。
- 同年、アイスランドのCCP GamesよりPC用MMORPG『EVE Online』がサービスイン。その世界の広さと余りにリアルな経済システムに多くのMMORPGユーザーが驚かされ、口コミやオンラインゲームニュースサイトなどでジワジワと広まっていく。(なお、近年日本語版パッケージが販売予定)
- 2004年、世界的に見れば最高の有料ユーザー数を抱える『World of Warcraft』がディアブロシリーズを手掛ける米Blizzard Entertainment社より販売開始及びサービスイン。但し翻訳されなかった為、日本では名前だけ有名のような感じに。
ってあれ、さっきも似たような事書いた気が - 2006年、トミーウォーカーよりPBW『シルバーレイン』がサービスイン。PBWとしては異例の大ヒットを飛ばし、現在も拡張を続けている。
- 同年、Bethesda SoftworksよりPC用及びXbox360用RPG『The Elder Scrolls IV: Oblivion(TES4)』が発売開始。オープンワールド系のリアルタイムRPGとしての一つの完成形として世界中で評価され、大ヒットを記録する。
閑話休題その3:
同年、『ニコニコ動画』のβ版がサービスイン。当時は2chユーザーの新しい遊び場として使われていたが流れが徐々に変わっていき、気がついたら東方が物凄い有名になっていた。
爆発的な、しかもSTGとしての東方ファンではなくキャラ物としての東方ファンの増加によって、昔からの東方ファンは閉口もしくはアンチ化。もしくはどうでも良いと知らんぷり。2chの東方本スレ住人でさえ閉口するほどに酷い有様になる(今現在も)。
その割りに他の同人ゲーム、同人シューティングの地位は低いままだったりする(ニコニコ内での他の同人シューティングの動画の再生数を見ると泣けてくる程に)。まぁそんなものだと思うけど。
つまりシューター人口が増えたわけではなく、シューティング市場が救われた訳でも無く、結局全く良い方向に動かなかった珍しい事例だと言える。
- 2008年、アメリカではTRPG『D&D第四版(Dungeons & Dragons 4th edition)』が、そして日本ではTRPG『ソード・ワールド2.0』が発行される。
- 2009年、
なんかありましたっけ? - 2010年初頭、トミーウォーカーよりPBW『エンドブレイカー』がサービスイン。
- 2010内でMMORPG『ファイナルファンタジー14』がサービスイン予定。
と言う訳で長々と書いてきたが、『RPG』全体の大まかな歴史はこんな感じである。
なお、歴史的に何らかのアクションを起こしたゲーム以外はどんな大作でも取り上げてないので(と言うか取り上げ始めたら終わりが見えない)ドラクエが二つしか出てないよ!とかの反応は勘弁して欲しい。大体ディアブロでさえIIしか取り上げてないのだから贅沢過ぎる話
なお、歴史的に何らかのアクションを起こしたゲーム以外はどんな大作でも取り上げてないので(と言うか取り上げ始めたら終わりが見えない)ドラクエが二つしか出てないよ!とかの反応は勘弁して欲しい。
また、かなり一つ一つの項目を雑に書いているので、気になった項目があった場合はwikipedia等で調べる事をお勧めする。
で、これらの歴史と、そして前回のRPGとしてのそれぞれの概念を踏まえ、考えて見るのだが……。
それは流石に次回で勘弁して下さい……。
と言う訳で後編に続く。
This entry was posted on 2010年3月7日日曜日 at 17:50 and is filed under 雑記. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0. You can leave a response.
コメントを投稿